久しぶりに眼科に行った。私はずっとコンタクトをしているので、定期的に検診してもらうためである。
神戸の三宮にあるこの眼科の周りには、メガネ屋やコンタクト屋が乱立する競争地帯である。いかにしてこの眼科の患者を自分たちのショップに導くかが、生き残る上で重要な課題である。
私が始めてこの眼科(Y眼科としておく)に行った時は、となりにあるコンタクト屋を紹介された。このコンタクト屋を仮に「Aコンタクト」としておく。Aコンタクトは、自分にとって驚くべき安い価格であったことを覚えている。(私は長い間、競争の少ない愛媛の新居浜にて、当たり前のように定価で使い捨てコンタクトレンズを購入していた。それがこっちでは半額は当たり前という状況である。)
1年ほど前であろうか?「Aコンタクト」の目と鼻の先に「Bコンタクト」ができた。価格はAコンタクトより少し安い設定である。この店のオープン時期に私はちょうどY眼科に行ったのである。
Y眼科の受付はこんなことを抜かしやがった。
「今日からBコンタクトをお薦めさせていただくことになりましたが、よろしいですか?」
Bコンタクトから金でも積まれたか?真剣にそう思った。
診察が終わり、Aコンタクトを横目にBコンタクトに行くと大盛況であった。それに比べAコンタクトの店内の寂しいこと。Aコンタクトの店員は泣きそうな顔をしながら呼び込みをしていた。
「キツイな。」
そんなことを考えてから、この眼科に行くことはやめていた。しかもわざわざ出て行かなくても楽天でより安く買えることが分かったからである。
今日は、しばらく眼科に行っていなかったので、検診だけしてもらい、後から楽天で購入しようと考えていた。
久しぶりに行くと、このY眼科は内装がガラリと変わっていた。
(さぞかし儲かっているのだろう。)
Y眼科の受付は今度はこんなことを抜かしやがった。
「当クリニックでは、Aコンタクトをご紹介させていただいておりますが、よろしいですか?」
(は?Aコンタクトだと?Bコンタクトはどうした?金をさらに積まれたか?)
私はAコンタクトが生き残っていたことになぜか、うれしくなってしまった。そして、ついさっきまで楽天で買おうと思っていたことなど忘れ、
「はい。」と答えてしまったのだ。こうなると私の状況はヤバイ。
これは先日読んだ「影響力の武器」に書かれていた「コミットメントと一貫性」という武器のなのである。ひとたび決定を下してしまうと、そのコミットメントに対して一貫した行動をとるように圧力がかかるのだ。
相手の思うツボである。
それから診察を前に、私はAコンタクトに連れて行かれた。私の正面に座った若いセールスレディは、私にアンケートを書かせ、以前購入したときの、私の顧客データを取りだしてきた。
まず、新しいタイプの使い捨てコンタクト(1ヶ月はずさなくてもいいという)の押し売りを始めた。何が今までのものより優れているのかを説明している。確かにいい商品のように聞こえた。しかし、高い。
(※マーケティング用語で、より高い商品を薦めることを「アップセル」という。客単価を挙げることが目的である。)
私は楽天でコンタクトを買うつもりなのに、しかも影響力の武器のことを知っていたのに、この店舗にくるということに対して「はい」と答えてしまったことが、かなりくやしかった。
そこで自分を取り戻すべく、これ以降のセールストークに対しては耳をふさぐことにした。マーケティングを勉強している私には押し売りなど通用しないということを見せつけたかった。
「へぇー。そんなのができたんですか?でも、今のでいいっす。」
このセールスレディは続けて、コンタクト洗浄液に話題を切り替えた。
(※関連商品をセットで売ることを、マーケティング用語で「クロスセル」という。これも客単価を挙げることが目的である。)
ここでも、私がいつも使っていると答えた商品より、高い洗浄液を薦めてきた。(※さらにアップセル) しかも判断しづらいのが、今なら、いつも使っている使い捨てコンタクトとセットで●●円!というセット商品にしている点だ。私はできるだけ落ち着くようにつとめた。冷静に考えた。
いつも使っているコンタクトと洗浄液の組み合わせの方が安いではないか!
「へぇー。それは一見、お得ですね。でも、いつものでいいっす。」
このセールスレディもくじけない。今度は私のメガネをきれいにします。サービスですと言い、私のメガネを取ってこう言った。
「かなり開いていますね。」
(よ、よくもしゃあしゃあと!俺の顔は、どうせデカいんじゃい!)
「今なら5000円から新しいメガネをお買い求めいただけます。よろしかったらいかがですか?(※クロスセル)」
「メガネは滅多にしないので、これで十分なんですよ。」
「そうでしたか。でもネジがかなり緩んでいます。緩まないネジに交換することもできますよ。片方が500円なので1000円で。(※クロスセル)」
「交換しなくていいっす。(ややムカッ)」
「じゃあ、サービスできれいにしておきます。メガネのハナ当てもサービスで変えておきますね。」
(「返報性のルール」だな。これも「影響力の武器」」に書かれていたぞ。最初にその人に親切な事をされると、一つくらいならその人の要求に応じてもいいという気になってしまう武器だ。ガハハハ。お前らの思惑はすべてお見通しだ!)
「それじゃあ視力を測らせていただきます。」
ようやく視力検査である。それにしてもこのセールスレディ自らが視力検査までやるとは。
「どうやら右目が乱視ですね。乱視用の使い捨てコンタクトレンズも出ています。乱視用のコンタクトレンズっていうと今まではハードしかなかったんですが、ソフトでも新製品がでました...。(※アップセル)」
「(たくましいのう。)今のでいいっす。(もはやホンマに乱視なのかどうかも信用できんな。)」
「まあ、これからお医者さんの方でサンプルを着けてみて、もし良かったらどうぞ。」
「はい。はい。(はよ診察せえよ。今日は俺、散髪も行きたいんじゃ!)」
「それでは診察ですので、お隣の「Y眼科」さんへ。メガネは診察されている間に直しておきますので。」
「はい。
(ここまでくれば影響力の武器に屈せず、何が何でも俺は楽天で買うぞ。なにが「コミットメントと一貫性」だ。何が「返報性のルール」だ。お前ら今日は相手が悪かったと思って諦めるんだな。診察が終わったら処方箋だけもらって、散髪に行くぞ。二度とココには戻ってくるか!サラバじゃ!)」
Aコンタクトを出て、Y眼科へ。
「....ん?」
「あれ?何かヘンだ?」
「...!」
「メガネを人質に取られた!」
私にはもはや、乱視用のコンタクトを拒絶することしか、力は残っていなかった...。
敗北。
